大阪城の景色


 大坂城(大阪城、古くはおおざかじょう。名古屋城、熊本城と共に日本三名城の一つ。)1583年石山本願寺とその寺内町であった地に、豊臣秀吉が築城。天守は外観5層で、瓦などに金箔を用いたものであった。
 1615年大坂夏の陣で落城焼失。1620年から徳川秀忠によって再建が始められ1629年に完成。徳川氏の大坂城は豊臣氏の大坂城の石垣と堀を破却して、全体に数メートルの盛り土をした上に石垣を積んだ、豊臣大阪城は地中に埋もれてしまった。
 1665年落雷によって天守を焼失し、以後は天守を持たない城に。
  1868年鳥羽・伏見の戦い後の混乱で出火、城内の建造物はほとんど焼失。明治以降は陸軍用地となり東側(現大阪城公園)に大阪陸軍砲兵工廠が設けられた。
 1928年、大阪市長關一は、天守の再建を提案、市民の募金150万円によって陸軍第四師団庁舎移転と天守建設がすすめられた。そして1931年、鉄骨とコンクリートによる復興天守閣竣工。外観は、絵図を基に新たに設計された。豊臣大坂城と徳川大坂城のそれぞれで建っていた天守閣とは場所も外観も異なる。復興天守閣では初層から4層までは徳川時代風、5層目は豊臣時代風とした。
 太平洋戦争では終戦前日の8月14日の空襲では天守閣の背景に黒煙が濛々と上がり大阪夏の陣とも呼称される程、壮絶であった。
 戦後1948年の接収解除後は建物の修理が進められ、大阪城公園として整備された。1959年には豊臣時代の遺構が発見された。本丸内の陸軍師団司令部の旧施設は一時大阪府警本部の庁舎として使用された。工廠跡は長い間放置された。1983(昭和58)年「大阪築城400年まつり」に合わせ、JR環状線「大阪城公園駅」新設、大阪城ホール開館、工廠跡は「大阪ビジネスパーク」になった。
 1995年から1997年 平成の大改修が行われ、外観補修の他、阪神・淡路大震災級の揺れにも耐えられるように補強された。1997年、国の登録有形文化財に指定された。




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